台本が八割がた完成しました。
およそひと月、寝てもさめても台本のことばかりを考え続けましたが、作品の目鼻立ちがついたところで、力押しの作業にもひと段落。月もかわって、ふと、冷静にかえる自分がいます。
・・・本当は、今さら出てきて舞台を作ろうなんて、ほとんどの人からは「ただのイタイ人」だと思われてるんだろうなぁ、と思っています。形態zeroって言ったって、そもそも著名な集団ではなく、ほとんど無名なわけですから、復活するもくそもないじゃないか、誰も知りゃしねえよ、という隙間風が、ふと気を抜くと背中を這い上がってゆきます(笑)。あんまり冷静になってそんなこと思っていると、アホらしくなって台本を書くエネルギーがそがれてしまうので、見てみぬフリ、をしています。
お前が舞台を作ることに、客観的なイミが、なんかあんの?演劇界に何を寄与するの?と言われれば、知らんそんなん。どうでもエエよ、と思っています。
じゃあ、なんでやんのさ?ということになりますが、
一言で言えば、死ぬまえに、自分自身で80点以上つけられる舞台をつくっておきたい、ということです。
一つだけでもいいから、映像として残したときに、本当に自信をもって自分の子供に見せることが出来る作品をつくりたい。
ということです。
なあんだ、自己満足かい、と言われてしまうかもしれませんね。しかし、かつて自分の作った作品において、ただの一度すら「自己満足」出来なかった私からすれば、「自己満足」できる作品を残せるならそれだけでアマチュア冥利につきるよ、と思えます。
自分の中に尾をひく亡霊の息の根を止めたい。
おれはここにいるぞ、と、声をあげたい。
だからヒトにどう思われてもイイや、と思ってます。そんな事を気にするほど余裕ぶっこいてる歳でもないのよ。ただ、10年後になったとき、「まだ若いうちにやっときゃ良かった・・」なんて悔いるのだけはイヤだということ。ハタから見てたとえどんなにバカバカしいことだろうと、いま出来ることを、精一杯に、やるだけだと思っているのです。
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細川です (月曜日, 05 8月 2013 00:07)
お疲れさまです。
演劇やってる意味は人それぞれと思いますが、私は自分の生きる目的つまり自己満足ですね。
ただ、演劇を通して、観客の誰か一人にでも、感動とか物事を考えるきっかけとか、何かしら影響を与えられるようにはなりたいです。
それは、たった一人に対してでも難しいことですが。
私もいい歳なので、今さら芝居関係のことを再開してるのは傍から見たらバカバカしいだろうし、イタイ人に見えるでしょうけど。そんなの気にしてたら人生における自己満足すら果たせないですからね。
忍耐で、やり続けていこうと思ってます。私も年齢的に完全に手遅れになってから後悔したくないですし。
keitai0 (月曜日, 05 8月 2013 01:22)
書き込みありがとうございます。細川さん。
短くはないブランクをあけて、しかもイイ歳になって舞台に帰ってくる・・という境遇でいえば、私と細川さんは良く似ているのかな、と思います。
私の場合、芝居から離れている時期、ほんとに死んだような時期が続きましてね。さっさと老人になってしまいたいと思っていました。会社で仕事をしながら、かつ、そこそこ認めてもらいながらも、自分がここにいるよ、という証明だけは決して貰えなかったです。
自分がここにいるよ、という証明は、結局、全身全霊をかけて、他人に何らかの働きかけをすることによってしか得られないのだろうなぁって思いますね。観てくれる人が多ければ多いほどいいに決まっていますが、たとえ少数でも、その人たちの心を動かすことができるのなら、本当に素敵ですね!結局、人に感動を与えられなかったら、本当の自己満足なんて出来ないだろうから。
私も年齢的に瀬戸際です。
一緒にいいものを作れるといいですね。
台本ができたら送付します!